長野地方裁判所 昭和39年(わ)78号 判決 1966年11月02日
被告人 渋川文尾
主文
被告人は無罪。
理由
第一、訴因
本件の訴因は、「被告人渋川文尾は、昭和三四年五月一九日長野県上高井郡小布施町大字小布施八二九番地市村虎松方において、同人から東京電力株式会社株式百株券(に戊第〇九二八七〇号市村隆虎名義のもの)一枚を担保物に使用する目的で借受け、これを受取つて同日須坂市大字須坂二三五番地長野県商工信用組合須坂支店に赴き同支店において貸付係内山恒伸に対し、金五万円の借入方申込み、その担保物として提供し、右市村のために保管中、翌三五年九月二一日頃から右物件を借用した事実がない旨主張して抗争し、その頃から同三九年四月三日までこれを右組合須坂支店内に隠匿抑留して横領したものである。」というのである。
第二、公訴棄却の申立
弁護人は、まず、要するに、起訴状に記載された事実が真実であつても、右株券を借受けた事実がない旨主張して抗争したことをもつて横領行為ということができないから、結局なんらの罪となるべき事実を包含していないときに該当するものというべきであるから、公訴棄却の裁判を求めると主張する。
しかしながら、公訴棄却の裁判をすべき場合の所謂「罪となるべき事実を包含しないとき」というのは、起訴状に記載された事実が、その事実自体はじめから一見して明らかになんら犯罪を構成せず、公訴を維持する余地のない場合をいうものと解すべきところ、横領罪における領得は不法領得の意思の発現と認められる行為によつて成立するものであり、他人の物を占有する者が委託者または利害関係ある第三者に対し、これを借用したことがない旨不実を主張して抗争し、もつて権利者の意思を排除し自己のためにその占有を継続するが如き場合は、権利者でなければできないような行為をすることとなり、場合により、横領罪を構成するものと解されるから、本件において、右株券を借受けた事実がない旨主張して抗争したことをもつて横領行為にあたらないことが一見して明らかであるということはできないものというべく、公訴棄却の裁判を求める弁護人の申立は採用できない。
第三、横領罪の成否
一、認定した事実
1 被告人は、昭和三四年五月当時、須坂、松本両市内において書籍商を営んでいたが、かねてその資金の融通方を市村虎松に交渉していたところ、同月一九日長野県上高井郡小布施町大字小布施八二九番地右市村方において、同人から市村隆虎名義の東京電力株式会社普通株式百株券(に戊第〇九二八七〇号、右隆虎の白地式裏書がなされたもの)一枚(昭和三九年押第四六号の六)をこれを利用して他から融資を受けるための担保として使用する目的で、しかも同人から請求があつたときには直ちに担保を解除して右株券を取戻したうえこれを返還する旨の約定でその担保とする相手方、方法につきほかになんらの条件や限定を付することがなく借受け、これを受取つて同日須坂市大字須坂二三五番地、長野県商工信用組合須坂支店に赴き、同支店において貸付係内山恒伸に対し金五万円の借用方を申込み、同店に右株券を譲渡担保として追加差入れした上、右金員の新規貸付を受けた。
2 ところで、被告人は右市村から昭和三五年九月頃須坂警察署に対し右株券の横領犯人として告訴手続をとられた結果、同月二一日同署司法警察員巡査部長小野造司の取調を受けたが、同人に対し、市村から右株券を借用した事実がない旨主張して抗争し、その株券はその後において昭和三九年四月三日同警察署司法警察員巡査田中三郎によつて押収されるまでの間、前記組合須坂支店にひきつづき担保物として保管されていた。
3 以上の事実は、第二、四回公判調書中の証人市村虎松の各供述部分、証人市村虎松、同内山恒伸、同坂井利助、同小野造司の当公判廷における各供述、いずれも丸山荘吉作成にかかる担保品記入帳謄本、手形貸付元帳抄本、市村虎松作成の昭和三九年四月九日付任意提出書、検察官作成の同日付領置調書、司法警察員作成の昭和三九年四月三日付捜索差押調書、いずれも押収してある株券預り証一通(昭和三九年押第四六号の一)、譲渡証書一通(同号の三)、担保品差入証書一通(同号の四)、東京電力株式会社株券一枚(同号の六)、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する昭和三五年九月二一日付供述調書を総合してこれを認める。
二、判断
まず、本件株券が有価証券として横領罪の客体となりうることは明らかであり、また、右に認定した事実によると、被告人は市村から右株券を他から融資を受けるための担保として使用する目的で、しかも市村から請求があり次第担保を解除してこれを取戻したうえ返還する旨の約定で借受けたというのであるから、株券の所有権が被告人に移転したものということはできず、刑法二五二条一項に所謂「他人ノ物」に該当するものというべきである。
つぎに、被告人が市村から右株券を受取つてのち、契約の趣旨にもとることなくして、長野県商工信用組合須坂支店にこれを譲渡担保として追加差入れした上、同組合から金五万円の新規貸付を受けたことは右に認定したとおりであり、その結果同組合は被告人から右株券の交付を受け、以来これを直接に占有するにいたつたものである。しかも、特別の事情が認められない本件において、右譲渡担保契約により、一応右株券の所有権は内外ともに右組合に移転したものと解される余地があり、この場合被告人としてはこれを自由に処分し得る立場にはないこととなり、右株券に対し事実的又は法律的支配を及ぼしているものということはできない。しからば、被告人は前記法条に所謂「占有」を有するものということはできない。
よつて、本件は被告人が占有を有するものと認めるに足る十分な証拠がないものとして、その余の点を判断するまでもなく、横領罪を構成することがないものというべきである。
第四、結論
以上の理由によつて、結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。
(裁判官 山之口健 和田啓一 伊藤博)